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実りの季節

ハレムの女性たち


オスマントルコの初期は 周辺諸国との政略結婚で皇后がいたようですが
領土が拡大し、国力も安定してからは皇后は空席でした。




スレイマン大帝の肖像画とサイン
サインはアラビア文字をデフォルメしてますが 
花押に似てます。

スレイマン大帝の母ハフサ・アイシェはクリミア・タタール人のカーン(統治者)メングリ1世ギレイの娘と伝えられ
クリミアのイスラム系王室同士の結婚でした。
ハフサは王族出身ですが、それでもオスマントルコの慣習に従い皇后ではなく愛妾の一人にすぎません。
スレイマンが皇帝に即位してからは Valide sultan(母后)という称号が与えられました。

王族の母を持つスレイマン大帝ですが、愛妾は全員奴隷出身です。
この時代 略奪されたり、争いに負けた国の若い女性が奴隷市場に出されて
皇帝好みの女性が選ばれてました。
ロシア系 ギリシャ系、中央アジア系 言語も 髪の毛も 目の色も多種多様 (^^;
奴隷市場に出されて、言葉が通じないハレムに行き、
ハレムになじむよう行儀作法、踊り、音楽 言語 と教育されたそうです。
悪名高きヒュッレム妃は奴隷出身から 奴隷解放をへて 掟破りの皇后になった人で
美人というよりも頭の回転がずば抜けてよかったようです。

王子が複数いた場合、跡継ぎが決まると 残りの王子は殺害されてたようで
子供の生存の為にも ハレムでは陰謀が渦巻いてました。

ちなみにスレイマン大帝本人は一人息子
スレイマン大帝の息子は マヒデブラン妃が1人とヒュッレム妃5人生んでます。
脚色があるでしょうが ドラマ・オスマン帝国外伝でハレムにおける後継者争いが語られてました。

ドラマ見ると 皇帝の妹婿になるのは出世早いけどリスク高すぎる事にも気づきます。





















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